2005年12月26日月曜日

私たちの司教ヤコブ幸田和生


ミサの中で「私たちの教皇ヨハネパウロ二世、私たちの司教白柳誠一」という言葉をしばらく聴き、やがて「私たちの教皇ヨハネパウロ二世、私たちの司教ペトロ岡田武夫」となった。
次に、「私たちの教皇ヨハネパウロ二世、私たちの司教ペトロ岡田武夫、ヤコブ幸田和生」となったのが今年の2月だった。
5月からのミサでは「私たちの教皇ベネディクト16世、私たちの司教ペトロ岡田武夫、ヤコブ幸田和生」となった。

2005年とは私たちローマカトリック教会の一員にとって、意味深い一年だったのかもしれない。

東京ミレナリオ


評判の丸の内ミレナリオに行ってきた。

プロデュースした人間はさまざまな理屈をこねるかもしれないが、造形的なモチーフはあきらかにカトリック教会、もしくはギリシャ、ロシア正教会の聖堂にある「ステンドグラス」である。

2005年12月24日土曜日

カトリック西千葉教会のクリスマス




パイプオルガンのほかにバイオリンとフルートの伴奏で聖歌が歌われた。

19:00のミサの主な次第は次の通り。

入祭の歌--カトリック聖歌111番「しずけき」
開祭の歌--典礼聖歌305番「やみに住む民は光を見た」
栄光の賛歌--典礼聖歌204番
第一朗読--イザヤの預言9.1-6
答唱詩編--典礼聖歌148番「とおく地の果てまで」
第二朗読--使徒パウロのテトスへの手紙2.11-14
アレルヤ唱
ルカによる福音2.1-14
説教
使徒信条
共同祈願
奉納の歌--カトリック聖歌113番「きたれ友よ」
感謝の賛歌--典礼聖歌205番
主の祈り
平和の賛歌--典礼聖歌206番
聖体拝領の歌--キリスト教会賛美歌「まきびと」、カトリック聖歌121番「あめのみつかいの」
閉祭の歌--キリスト教会賛美歌「もろびとこぞりて」

2005年12月23日金曜日

明日はクリスマス

久しぶりに冬らしい冬をむかえた日本列島。

次女が吹奏楽の部活で佐倉高校へ行くと言うので、車で送った。車の中で次女に電話をさせた。私の妹の静子にだ。
「クリスマス、一緒に教会へ行こうってお父さんが言ってるの」

帰宅してからしばらくの間は本などをよんで過ごし、昼食後にホームセンターへ言ってDV用のケーブルを購入して、昔の8mmビデオのダビングを始めた。

1960年代後半から8mmフィルムによるムービー撮影を始めた私は、時代の変遷と共にVTRへと移行し、撮りためたビデオテープもかなりの数に及ぶ。
これをDVDへダビングしようということで今回機材を買い揃えたのだ。ダビングしながらついつい映像を見てしまう。
亡くなった父や、叔父や伯母、そして小さい頃の子供たち。何時間もテレビの前に釘付けになってしまった。

明日はクリスマス。
キリスト教の暦では、一日は日没に始まり、日没に終わるから、明日の日没からクリスマスだが、浮かれている場合ではないようにも思う。

2005年12月18日日曜日

強い冬型の気圧配置


今日は、待降節第四主日

西千葉教会では洗礼式があった。
大人8人子供6人、これを多いと感じるか少ないと感じるか。

ここのところ各地の教会を訪れて少ない信徒で信仰を守り、教会を維持していく姿を見てしまった私は、信徒数1,500名を抱える西千葉教会がいかに恵まれているかを思い知った。

来週は降誕祭。
みなで御聖堂と信徒会館を大掃除した。

2005年12月15日木曜日

東北のキリシタン殉教地をゆく




あわただしい仙台出張から先程帰宅。

昨夜遅くに仙台入りし、夜のうちに勤務先のCさんとは翌朝8時30分にホテルのフロントで待ち合わせる約束をして、今朝は7時にホテルを出発した。

目指すは広瀬川の河原にあると言う殉教地である。少なくとも普通の人に比べれば健脚とうぬぼれている私だったから、徒歩で出発した。
歩き始めてしばらく行くと、とあるビルにある気温を示す電光掲示板が-4℃を示しているのに気がついた。相当冷え込んでいるようだ。
しばらくして徒歩で行くのは無謀だと言うことに気がつき、タクシーに乗る。
西公園で降車したが、公園の敷地は広大で広瀬川の位置も定かではない。困り果てていると交番があったので尋ねてみると、意外にも近距離であった。
仙台大橋のたもとから右へ降りる階段を行くと、それはあった。 思いのほか立派な記念碑があり駆け寄って喜ぶ。
小さく祈ってから、広瀬川の河原へ降り、殉教現場である仙台大橋の下に立った。
広瀬川河畔の琵琶首刑罰場におけるキリシタン処刑は1624年2月1日から始まった。中には斬首されたものもあったが、その多くが水籠に入れられ凍死したものだった。
ロザリオの祈りの後にテゼの歌「主こそまことの救い」を謳った。

今回の私の巡礼の道しるべとなったのは高木一雄氏による「東北のキリシタン殉教地をゆく」である。

2005年12月11日日曜日

テゼ


12月に入って急に寒くなったように思う。近郊のアイスクライミングのゲレンデではすでに登攀可能なところもあるようだ。今年も行ってみたいものだ。

今日は待降節第三主日。
女子パウロ会のシスターが来られて、クリスマス用品などを販売。
教会の庭で2006年用の祈りの手引きなどを購入。とても寒いので、シスターは手がかじかんで品物を紙袋に入れることができなかった。

これとは別に先週、女子パウロ会のCDを購入した。
テゼの歌。テゼ共同体の歌である。
一年ほど前に西千葉教会の別冊聖歌集が新しくなり、その中にテゼの歌が入っている。短い祈りのフレーズを繰り返し歌う。短いフレーズだが旋律も美しく祈りの言葉も美しい。
先週の金曜日、勤め帰りに四谷まで行って、サンパウロで見つけて買ってきたのである。
静かに聴いていると長女が言う。
「WYDケルンで、いつも歌ったよ。フルートとギターの伴奏で」
「いいなぁ、どういうところで歌ったの、教会の中?」
「いつも、どこでも。バスの中とか朝の祈りのときとか」
「お父さんも行きたかったなぁ」

本当にしみじみ行きたかった。

カトリック、プロテスタントの教派を超えたブラザー・ロジェは長女がWYDケルン大会に参加している8月16日夜、帰天された。