2010年6月27日日曜日

松永敏郎さん


6月はじめに一通のはがきが届いた。

それは山登りの世界で私が最も尊敬している松永敏郎さんからのはがきだった。
松永さんのアポロスポーツが閉店になってから7年が経つ。閉店時に売れ残った商品を分けるので来ませんかという知らせ。

6月26日土曜日に都内のご自宅にお伺いした。
松永さんの教え子や日本山岳協会、日本山岳会などで親交のあった人たちがやってきた。
かつて日本山岳協会の面々と酒を酌み交わしながら囲んだ囲炉裏にはふたがしてあり、その上には奥様の介護用のベッドが置かれていた。
この10年ほどの松永さんの苦労がしのばれた。

2時間ほどお邪魔して、ヘルメット、ストーブ、磁石、ミトン、靴下、ナイフ、ランタンのマントルなどを譲っていただいた。

帰りしなに松永さんは言う。
「もう会えないかもしないな。次に会えるのはあの世かもな」
硬い握手をして別れた。

4月18日からなんらかの形で10週連続で山へ行ってきたが、今週はお休みだ。
妻が風邪をひいてしまったからである。なんとなく一人で行く気がせず、松永さんから譲っていただいた道具の調整などして一日を過ごした。

2010年6月16日水曜日

沢登りルート120


山と渓谷社「沢登りルート120」と言うガイド本が本日発売となった。
帰宅途中に東京駅で下車し、丸の内の丸善で購入。

過去、沢のガイドブックと言うと山と渓谷社発行のものとしては1995年発行の「丹沢の谷110」などがある。これはシリーズになっており奥多摩、奥秩父、上信越などを紹介したガイド本が連続して発行された。
このシリーズは上信越を除いては記述がいい加減なものが少なくない。「丹沢の谷110」は特定の著者のものではあるがあきれるものがある。

2000年発行の白山書房の「東京周辺の沢」も一般的である。

山と渓谷社の「丹沢の谷110」と白山書房の「東京周辺の沢」を読み比べてみると、同一の著者が同じような記述をしているものがあり、いい加減な記述は特定の著者であることがわかる。

しかしながらこのようないい加減な記述が問題になった話しはあまり聞かない。それなりのベテランを対象とした沢登りの分野では遡行者自身が判断してルートを発見し登ることが前提となっているし、沢の形状は変化が激しいこともある。
この本に過去のガイド本のようなアバウトさがあるかどうかは、もう少しじっくり読んでみないとわからないが、記述が間違っていたがために遭難したとして訴訟を起こすような新人類が出てきそうだ。編者の宗像氏が「はじめに」で懸念している通りである。

ひとつ興味を引いたものがある。インタレストグレードである。ロッククライミングを中心として山登りを行ってきた私の価値観とこのガイド本の価値観の相違である。

少し考えてみたが「沢を登攀対象として捉えるのか否か」が影響しているように思える。私にとって沢は登攀対象ではなくどちらかといえば旅に近いものだ。
純粋に登攀行為を追及するのであればフリークライミングに帰結するし、自然条件などの不確定要素をはらんだ登攀を追及するのであれば国内では奥鐘山西壁などを頂点とする課題がある。さらに追求をしていけばそれらの冬季登攀が課題となろう。

私がただの河原歩きと徒渉の連続に過ぎない黒部川の上ノ廊下を三度にわたって遡行したのは登攀の価値観とはまったく異なる価値観をそこに見出したからだと思う。一ノ倉沢、奥鐘山、ナチュプロのフリールート、グランドジョラス北壁などとは異質の価値観がそこにはある。

沢登りに登攀の価値観を持ち込むことに違和感を感じている私から見ると沢登りの価値観は登攀の価値観とは別のものであるということをもう少し前面に打ち出しても良かったのではないか。