2012年12月24日月曜日

「降誕祭ミサ」と「2011年夏ヨーロッパアルプスの記録」



先週の日曜日に筑波山へ行こうと朝起きたときに少し喉が痛かったが、風邪をひいていたらしい。
一週間、とても体調が悪かった

妻の足の調子がよくなったと思ったら、今度は私が風邪
なかなかうまくいかないものだ
この三連休は風邪を完治させようとおとなしくしていた。

そしてむかえたクリスマス

2012年12月16日日曜日

荒れる筑波嶺

「筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる」
筑波山は万葉の頃から知られた名山で、百人一首にあるこの歌はあまりにも有名である
そんな筑波山にこのようにして毎週のように登れることはありがたいことだと思う


昨日土曜日は、天候が芳しくなかったが、日曜日に総選挙の投票があることもあって、土曜日の内に済ませておいたほうが良かろうと、いつもの通り筑波山へ行った。午後から雨が予測されていたので筑波山一筆書きは今回も諦めた
とはいえ、ただ筑紫湖や蜜柑園から登るのでは面白くないので、地形図にある「遠西」からの古道をたどってみることにした

2012年12月9日日曜日

「筑波嶺の秋」と「8000m峰14座登頂」

黄葉の椎尾山薬王院

名古屋、大阪と出張し、金曜日の夜に帰宅した時にはすでに日付も替わっていた。
へとへとで帰宅した私
太もものスジを痛めた妻に「今週は無理でしょう」と告げていたが、しっかり二人分の鍋焼きうどんの材料を用意して待っていた

就寝したのは1時半だったので、4時半出発はさすがにきつく、出発は7時40分
筑紫湖到着が10時
妻の足の具合も芳しいものではなく筑波山一筆書きはとても無理だろうということで、蜜柑園コースを登って、椎尾道を薬王院へ下る計画で出発

2012年12月5日水曜日

東京駅6時56分発 東北新幹線「はやて13号」の車窓から

大宮駅を出発して間もなく撮影した富士
ここのところ雨の日が幾日かあったのでそれが裾の近くにまで雪を積もらせたのだろう
この写真を見ると宝永山のはるか下の御殿場口近くまで真っ白だ

2012年12月4日火曜日

12月に入った北アルプスの稜線

唐松岳山頂から不帰をはさんで見る白馬岳方面


初冬合宿と称して八方尾根で雪訓や冬山幕営生活技術の訓練を終えて下山してきた息子の写真である
6月の穂高における初夏合宿に始まって、今年5回目の長期山行だった。登るための技術や安全を確保するための技術も大切な要素だが、長期山行では幕営生活技術の巧拙はパーティーのパフォーマンスに直結する。そしてパートナーシップの醸成もおろそかにできない。パーティー全体にかかわる事柄を処理してから個人の処理をするというような事柄は、山を始めた初期段階で叩き込まれる。
このような基本的な登山技術は社会人山岳会や大学山岳部や大学ワンゲル部を通じて教育され普及していく。

2012年12月2日日曜日

今週末は・・・

筑波山麓の椎尾山集落の晩秋の風情


土曜日は、あまり天気も良くなかったし、仕事がたまっていたので出勤して誰もいないオフィスで過ごした
妻はどうしても山へ行きたいということで、一人で筑波山へ行った
彼女が単独で山へ行くのは初めてのことだ

20時過ぎ帰宅すると、しばらくして妻も帰宅した
筑波山では雪模様となったらしい
ぬかるんた道で滑って股関節を痛めたが、一晩寝れば治るだろうという

それで、今日
午前中は天気が良いとの予報だったので朝4時30分に自宅を出発
6時30分に筑紫湖に到着

2012年11月25日日曜日

筑波山一筆書き、新そば、そしてボリエールG1ライト

一日じゅう遊ばせてくれた筑波山麓を湖面に映す
夕焼け前の筑紫湖


昨日は蛭ヶ岳だったが、今日は筑波山である
当初、椎尾道を二往復しようと考えていたが、単純に二往復するだけでは、あまりにも芸がない
知恵をだしてこそホモサピエンスである

そこで、いくつかのコースを組み合わせて、登りも下りもすべて異なるコースを使い、一筆書きのようにして周回できないかと考えた

2012年11月24日土曜日

蛭ヶ岳 市原新道

蛭ヶ岳山頂直下の急坂を防護柵沿いに登る



三連休で、長女と山へ行くことを楽しみにしていたが、初日の23日は冷たい雨
仕事が溜まっていたこともあり休日出勤

「雨でも山へ行きたかったのに」と妻からクレームを受ける
うれしいやら、あきれるやら・・・

そこで土曜日は日帰りで蛭ヶ岳へ
蛭ヶ岳へダイレクトに突き上げる蛭ヶ尾根(市原新道)は2010年5月に妻と訪れたことがある。ブナの森の美しい尾根だった。
秋に訪れたら、どんな風情だろうか

2012年11月21日水曜日

岳人786号「結び目強度の実験検証」


妻の風邪が全快というところまで行っていないので、先週末は山へは行かず。

福岡出張で羽田空港へ向かう途上で御茶ノ水の丸善で岳人12月号を買った。
「結び目強度の実験検証」なる記事があったので興味深く思ったのである。

最も重視したのは実験検証の対象にある「懸垂時8の字」
その結果は「3.77KNで結び目がショックと共に回転」ということだった。

2012年11月18日日曜日

深まる秋


昨日、土曜日は冷たい雨が強く降ったが、日曜日の今日は秋晴れのまさに小春日和
妻の風邪はだいぶ良くなったが全快ではないので、今週も山は見送ることにした

午前中は母とカトリック西千葉教会でミサに与り、午後から買い物に行った

家に戻る途中で四街道小学校の脇を通った
イチョウが黄葉していた

息子は日和田山へ行った

私は明日、明後日と福岡出張だ

2012年11月13日火曜日

私も・あなたも、いつでも・どこでも「ダーウィン賞」候補


先週の週末は良い天気だったが、私はあいにく出勤で、妻も風邪をひいていたから、山は中止

息子は土曜日は皇居マラソン大会、日曜日はクライミングコンペと言って朝早くに出かけていった。
共に日本山岳会学生部の催しである。
クライミングコンペが行われたウォールの写真を見た。
とある大学の構内に作られたものだという。

私はかつてフリークライミングのジャパンカップや大倉カップで北山さんや山順さん、あるいはジャック中根さんたちとジャッジをしていたし、千葉県におけるクライミングコンペは私の主導で始まったと発言してもだれも異議を唱える人はいないと思う。もし異議を唱える人がいても「岩と雪」を読めば黙り込むだろう。

だからクライミングコンペにもそれなりの理解があり、人工壁に求められる要点に関しても心得ているつもりだ。

その心得の範囲では天然の岩場と異なり、人工壁の安全性については全幅の信頼を置いている。
だが、事故は起こる。
人工壁でもくりかえし事故が起こる。

2012年11月6日火曜日

雪の便りの息子の秋山合宿

先月末から北アルプスに入っていた息子が帰宅した
冬山合宿の偵察予備山行としての秋山合宿だ
昨日午後三時過ぎに上高地から沢渡へ下山したとのメールがあった

終電での帰宅になるので私はとても待てず、23時前に就寝

先ほど起床して玄関ホールへ行ってみると、100リットルの赤いガッシャーがあった
相変わらずバカデカく重い

息子は私と違って、どちらかというと大木さんタイプで写真をたくさん撮らない
それでもいち早く写真を見たいと思って雨蓋の中から防水カメラを引っ張り出してPCにダウンロード

たった36枚の写真に過ぎなかったが、そこには北アルプスの初冬の世界が広がっていた

2012年11月4日日曜日

檜洞で焚き火を囲んで深まる秋を堪能し地形図を読む

7aHCメンバーと2か月前からあたためていた秋の檜洞
金山沢の出合でビバークしたら最高だろうと想像していたことが現実のものとなった

直前になって妻も参加したいということで田部井君、鎌田君、そして妻の四人でのんびり遡行した

期待していた金山沢出合の対岸にある河岸段丘は、期待以上のビバークサイトを私たちに提供してくれた
クッションのきいた落ち葉の寝床もさることながら、明るく開けた空と紅葉
月の光が紅葉の葉をタープに映す

月に照らされた林をみながら“浜千鳥”の一節を思った
「青い月夜の浜辺には、親を探して鳴く鳥が波の国から生まれでる濡れたつばさの銀の色」

2012年10月28日日曜日

鍋焼きうどんが恋しい季節となりました

この週末、土曜日に妻の仕事があって山には行けないということだったので日曜日に山へ行くことになった。

仕事が溜まっていたこともあって土曜日は出勤
出社すると中谷さんも出勤していた

午前中に仕事が片付いたので、神田の古本屋街へ行く
ちょうど古本祭りの最中
ものすごい人混みでとてもゆっくりと本を吟味できる状況ではない
はやばやと古本の物色は諦めてICI石井スポーツへ行く
別に何か欲しいものがあるわけではないのだが、クライミングギアのチェックが目的
で、店舗の階段を登っていくと息子が山岳部の仲間たちと階段を下りてくるところに遭遇
冬山合宿の装備を買いに行くとは聞いていたが遭遇するとは思っていなかった

2012年10月23日火曜日

『生と死の分岐点』と『続 生と死の分岐点』

山岳遭難事故の真の原因を科学的に究明し、事故から学ぶ
そうすることによって、事故を防ぐことができるようになる
そのような取り組みは昔から行われていた

古くは石岡繁雄氏によるロープ切断の実験に基づいた科学的究明が存在し
その事実を私たちに知らしめてくれた岳人誌における出海栄三氏の連載があった

そして決定打となったのがクライマー必読の書として知られるドイツ山岳会安全委員会による「生と死の分岐点」ではないかと思う
著者は安全委員会委員長のピッツ・シューベルト
本書は1994年にドイツで発行、1997年に邦訳され日本の登攀界に衝撃を与えた
ドイツ人気質の真骨頂ともいえる情け容赦のない徹底した論理的思考と、その帰結として導き出されたと思われる随所に掲載されている遺体の写真
この本によって、従来あり得ないと思われていたことが事故の原因になっていたという事実を突き付けられた

それにしてもドイツ山岳会の充実に感嘆するほかない
ヨーロッパの山岳会、たとえばフランス山岳会、イタリア山岳会、ドイツ山岳会は日本の山岳会とは似て非なるもの
国を代表する登山機関という意味では日本山岳協会に相当するが、日本山岳協会の会員は各都道府県の山岳連盟/山岳協会であって個人会員の加入は認められていない
未組織登山者の個人加入を認めているのは日本山岳協会の加盟団体の一つである東京都山岳連盟だけではなかろうか

物事に対する意識の高低は人によって様々だが、クライミングにおける事故原因に対しても意識の低い人が少なくない
例えばどこかの岩場でフリークライマーの死亡事故が起こったとする
私のまわりでも「気の毒に」という感想で終わる人が少なくない
なぜ事故が起こったのか、死亡事故に至った原因は何だったのか

リンドウ咲く西丹沢

木曜日は最終電車となり、金曜日は悠子隊員の送別会だったので、少し睡眠不足

そして土曜日の朝
日本山岳会の上高地山岳研究所へ行くために5時20分の始発電車に乗りたいという息子を駅まで送ってから妻と二人で出発

いったんは出発したが、20分ほど運転して、山へ行くのは取りやめた。
なんとなく調子が悪いのである
家に戻って、再びベッドにもぐりこみ、3時間ほど仮眠
11時ころになって、妻にビレイシステムを教えようと思い立ちクライミングギアを持って出かけた。
手頃な崖、もしくは石垣を探す

2012年10月19日金曜日

懸垂下降の8の字結びは「デスノット“死の結び目”」?


文登研(国立登山研修所)が発行している登山研修をパラパラとめくっていたら、興味深い記事とショッキングな記事を見つけた。

最初に興味深い記事
2005年発行の20号の「クローヴヒッチとムンターヒッチその正しい呼称と結び方」という一節で、著者は登攀技術に関する論客として知られる松本憲親氏
こんな細かいことを指摘するよりも、もっと事故に直結しがちな本質的なことがあるだろうという気持ちになるが、氏はそのような意見に対しても本文の中で反論している。

氏の主張の要点は
1.カラビナにはスパイン側とゲート側がある。これらの結びは、カラビナに2本のストランドが同時にかかるが、より強い加重が想定されるストランドをスパイン側にかかるよう結ぶべきである。
2.懸垂ムンターの制動手側のロープがカラビナのゲートの安全環に干渉してゲートが開放される条件はロック機構が開放されるネジの回転方向でロープが接触した場合に限られる。
として、1.2.を満たす実際の結び方を図解で説明している。

表現の正確さが重んじられ、わかりやすさへの配慮は、あまりされていない。たとえばロープのことをロウプと記述するなど、松本氏なりのこだわりが色濃く感じられる。ただし言わんとしていることは理解できる。ゲート側にストランドがかかり且つゲートが開いた場合にはカラビナの強度は著しく低下することは「続 生と死の分岐点」でも指摘されている。さっそく近いうちに試してみたい。


次はショッキングな記事
ムンターヒッチうんぬんよりもはるかにインパクトのある記事が21号の懸垂下降のロープの結び方に関する記事「ダブルストランドフィギュアエイトノットは危険だ」である。著者は同じく松本憲親氏

2012年10月14日日曜日

愛する人とのトレッキングに対応するリーダーとしてのフェイルセーフの強化

「愛する人とのトレッキングに対応するリーダーとしてのフェイルセーフの強化」
上記を目的として、職場の親睦団体7aHCメンバーを対象とした第二回安全登山技術講習を昨日土曜日に実施した

第一回目は、実技にあてる時間が少なすぎて、器具を利用しての懸垂下降を数回実施したのみ
今回は総花的にあれもこれも教えるのではなく、目標を絞って、実技の繰り返しを重視
概要は以下のとおり

【目的】
愛する人とのトレッキングに対応するリーダーとしてのフェイルセーフの強化

【目標】
絞られた目標は次の三点
 1.器具なしで愛する人を確保できるようになる
 2.器具なしで懸垂下降できるようになる
 3.器具なしで愛する人をロワーダウンできるようになる

【ゴール】
講習終了時に「完全に体が覚えた」という状態になっている

【実施場所】
登ることを教えるわけではないので実際の岩場で行う必然性は必ずしもなかったが適切な石垣を物色することはできなかった
丹沢のモミソ沢出合の懸垂岩で実施することにして神奈川県立山岳スポーツセンター前に集合
天然の岩場で実施して効率は悪かったかもしれないが、石垣やクライミングボードとは違って、臨場感があり、むしろ山における具体的なイメージが湧いてよかったと思う。

2012年10月11日木曜日

新旧イラスト・クライミング


図解を用いたクライミング技術解説書としてはクラブアルピノ高嶺会員・RCCⅡ同人の須田義信氏による「イラストレイテッド クライミングの基礎技術 Let' Go Climbing」が私の知る限り嚆矢かと思う。

その後、フリークライミングの浸透にともなって図解、写真を多用した解説書がいくつか出た。

今回、山歩きを通じた職場の親睦団体「7aハイキングクラブ」向けにロープワークをもう一歩踏み込んで教えるためのテキストブックを検討した

2012年10月8日月曜日

快晴の朝を迎えた穂高


下山の日だが穂高は快晴となった
岳沢は、南面のせいか、紅葉の進み具合が遅い
かなり冷え込んでおりシャッターを押す指も凍える

2012年10月7日日曜日

のんびりすごした小梨平



夜半から雨がぱらつき、明け方まで続いた
私の体調も芳しいとは言えないので、徳本峠を往復した

紅葉は思いのほか下まで下ってきており1900mが盛りを迎えようとしていた

2012年10月6日土曜日

今年四回目の上高地に入る


先月の奥又白の池で今年の上高地は幕引きかと思っていたが、この三連休も妻とやってきた。
風邪をひいてしまい不調なので、どこへも行かずに、滞在するだけになるかもしれないが、それでも良いと思ったのだ。

2012年9月30日日曜日

奥多摩のチャンガバンと息子の手料理

あいにくの台風で息子の鷹ノ巣谷は中止となったようだ
部屋でごろごろしている
今日はその息子の作ったスパゲッティを食べた

2012年9月29日土曜日

鷹ノ巣谷

奥多摩の鷹ノ巣谷へ行った
奥多摩の谷の特徴をあらためて実感した
地質学的なことはわからないが、奥多摩の沢は老年の山だ
人々の暮らしと深くかかわりあいながら歴史を刻んできた山だと受け取ってもらってもいい
そして山が安定している
土砂崩れの跡もほとんどないし、増水の爪あとも見受けられない

2012年9月28日金曜日

マジックアワー


日が沈んでから暗くなるまでの30分ほどの時間帯をマジックアワーというそうだ。
昨日の夕方、仕事が一段落して、ふとパソコンのディスプレイから目をあげると窓に夕焼けが映っていた。
かばんの中のIXYを取り出して屋上へ上がりマジックアワーに浮かびつつある街を見た。

土曜日の山行への台風18号の影響が心配されたがどうやら何とかなりそうな雲行きだ
あいにく妻は小学校の運動会で、土曜日には山へは行けぬと言う
日曜日は日曜日で私が山へは行けぬ

一方で,息子は大学山岳部の個人山行で日曜日に奥多摩の鷹ノ巣谷へ行くという

2012年9月23日日曜日

菰釣山と水ノ木沢、そしてチリトマトヌードル・リフィル

冷たい雨の降る日曜日となった
富士山へ行っていた息子も朝早くなす術もなく帰ってきた
一気に秋が深まった
高い山には雪が降っても不思議ではない気温だ

昨日土曜日は妻と水ノ木沢を訪れた

2012年9月20日木曜日

Rock&Snow57号 さらばボナッティ、そしてジョン・バーカー



「岩と雪」時代には編集後記に至るまでなめるようにして毎号5回も10回も繰り返し読み、その内容をほぼ暗記するほどだった
で、それをネタにして岩場の下で何時間もクライマー同士で尽きぬおしゃべりをする・・・。そんな時代だった。
現在はそれほどではないにしろ、いつも楽しみにしているRock&Snow
9月発売の57号の編集後記を読んで感動した
編集後記を読んで感動するとは私のアタマは少しばかり変態気味なのかもしれないが・・・

2012年9月17日月曜日

小梨平を去る




今年は上高地・穂高で延べ15日を過ごした勘定になる
今年中の再訪は難しいかもしれない
そう思うと離れ難い気持ちになるが、湿った気流が南から流れ込んでおり雨が降り出す可能性があるので、早めに撤収


2012年9月16日日曜日

奥又白の池


例のごとく、早朝というか夜中2時30分過ぎに小梨平を出発
徳沢の先で新村橋を渡り奥又白の谷を登っていく


2012年9月15日土曜日

三連休はまたもや上高地

妻と長女の三人で今日から上高地
いつもの通り小梨平にBCを設け、のんびり三日間を過ごす予定。

お盆の頃の最盛期に比べると小梨平キャンプ場のテントの数は十分の一程度
秋の三連休とはいっても夏に比べると激減である

2012年9月11日火曜日

南アルプスから帰ってきた息子


息子が一週間ぶりに南アルプスから帰ってきたので撮影した写真と共に話を聞いた
今回の山行は合宿ではなく個人山行として位置づけられたものだという

写真の中に、準備をしている山岳部の部室の内部を写したものがあった。そこには各人が背負う共同装備と食料がそれぞれ何キロになるかを細かく記述したホワイトボードが写しこまれていた。

2012年9月9日日曜日

檜洞から檜洞丸へ



昨日土曜日は妻と二人で檜洞へ行った。

檜洞は学生の頃に砂田とザンザ洞を遡行して同角沢を下降するという山行のアプローチとして通過したことがあるが、そのときの印象は「退屈なアプローチ」というもの。
若かったから「渓谷には渓谷美というものがある」ということを理解していなかったのだろう。

あれから砂田や岩崎と海外の岩壁も登り、頂に立ち、氷河も歩き、国内でもたくさんの壁や渓谷を登った
そのような経験を経てふたたび訪れた檜洞

明るく開けた谷に白い巨岩が積み重なっている渓相は、北アルプスの渓谷のようだ。だれかに檜洞の写真を見せられて「打込谷だ」といわれたら信じてしまうかもしれない。

2012年9月7日金曜日

ラグビー観戦


勤務先のラグビーチームがトップリーグに入って二戦目。相手は東芝。
同期の佐藤君が30年前から育ててきたラグビーチーム。

そんなことから同期の中に熱心に応援する燧君がいて、毎週のように観戦を誘うメールを送ってくる。
一度くらい応援にいくかと思い立ち、今夜行ってきた。

一人で行くのもつまらんので、妻と長女を誘ったら行くという。

2012年9月5日水曜日

ANA239便から南アルプスを登る息子達を撮影?


今日は福岡出張。午後から大阪へ入る。

福岡へは、いつもの通り羽田始発のANA239便。朝3時50分に自宅を出るのでさすがにつらいが、この便は南アルプスの真上を通る。

息子が一昨日から南アルプスに入っている。今回も予備日を含めて10日ほどの日程。
ついこの間、北アルプスでの夏山合宿から帰ってきたばっかりなのに、山の連続で、うらやましい。

2012年9月2日日曜日

大木さんとグランドジョラス北壁ウォーカー側稜


朝起きて、昨日の下棚沢で泥まみれになったロープとその他の装備を洗う。バスタブに昨夜の水が残っていたので、ロープを浸し、丁寧に洗う。こうするとロープの痛んだ箇所を確認できる。
柔軟剤の代わりにリンスを少々。
そうしていると、長女が「御待夜に行きたいな」という。
「えっ、本当?」
彼女は、この土日が御待夜だということを知っていたらしい。
久しぶりに大木さんに会いたいと思っていた私にとって願ってもないことだ。

2012年9月1日土曜日

季節の変わり目か、西丹沢下棚沢で遊ぶ


堀田藩の悪政を将軍徳川家綱へ直訴し処刑された郷土の誇り「佐倉惣五郎」の御待夜祭の頃には肌寒い風の吹くことがある。
そんな季節になった。そうだ大木さんに会いに行こう。

妻と二人で下棚沢で遊ぼうと今日も西丹沢へやってきた。
夏の太陽にあぶられて干からびそうな毎日を送っていたのに、下棚を高巻いていると雨。かなり強い雨である。
季節の変わり目をむかえているのであろう。

2012年8月26日日曜日

暑気払いの小川谷

毎年のように夏の暑い時期に小川谷を訪れているけれども、昨年はヨーロッパの準備等で富士山通いばかりで小川谷には行っていない。調べてみると、ん?一昨年も行っていない・・・
ということで久しぶりに小川谷へ行ってみると、ずいぶん様子が変わっていた。

2012年8月24日金曜日

夏休み明けの一週間


皮肉なものだ
先週は一週間天候が悪かったが、夏季休暇が終わったとたんに太平洋高気圧の勢力が回復し猛暑が復活した
七泊八日もの山暮らしを終えて、街の生活に戻った一週間というのは、落差が大きいだけに社会復帰にエネルギーが必要だ

2012年8月19日日曜日

快晴の穂高を背に上高地を去る


皮肉なことに撤収日にようやく快晴の穂高となった
食事が終わったので、これから撤収

2012年8月18日土曜日

上高地撤収を一日延期

昨日の北尾根で十分満足できたので今日下山するつもりだったが、気が変わった。
日曜日まで休暇があるのでもう一泊しようということになった。
千葉へ帰っても蒸し暑いだけだ。

2012年8月17日金曜日

前穂高岳北尾根ワンデイ

雨続きの第16回我が家の夏山合宿。
ようやくつかんだ好天を利用して三人で前穂高岳の北尾根ワンディ

2012年8月16日木曜日

田部井・鎌田両君に会う

今日、快晴だったとしても濡れた寝袋を干す為に停滞を決めていたので、明るくなってから起床。
小雨が時折ぱらつき天気は良くない。

それでも10時過ぎには日差しが差し込み始めたので寝袋を梓川の河原に干してから、妻と二人で大正池まで散策。

2012年8月15日水曜日

四日目の上高地

毎朝2時に起床して、行動あるいは停滞の決定をするが、今日も雨
やむなく停滞

それでも明るくなる頃には雨も止んだ。梓川の河原から穂高を望むと雲が幻想的な風景を作り出していた。

2012年8月14日火曜日

水浸しの小梨平

昨日からの雨が夜半から豪雨に変わり、小梨平のサイトは池のようになった。防水処理をしたムーンライト7型だが池の中ではどうしようもない。明け方3時頃から排水を続けたが5時頃になってあきらめた。

2012年8月13日月曜日

雨の小梨平


4時頃に小梨平を出発。歩いていても妙に風がなまあたたかい。霧雨も時折落ちてくる。
徳本峠へ着いてみると、少し日差しもさしていたが、天候は芳しくない。

徳本峠

足ならしにやって来たがあんまり天気が良くない。

2012年8月12日日曜日

上高地へ入る

妻と長女と三人で夏休みを上高地で過ごそうとやってきた。
きっとネット接続ができるのではないかとPCを持ち込んだところ、バッチリ!

朝、7時半に四街道を出発し上高地に到着したのは16時

2012年8月8日水曜日

安全登山技術講習会玄倉川本流スライドショー

先日7aハイキングクラブと行った玄倉川本流で動画をいくつか撮影したので、スライドショー風に仕上げてみました。



BGMは私のお気に入りの一枚
キースジャレット

2012年8月7日火曜日

息子の夏山合宿


先週、息子が大学山岳部の夏山合宿へ入った

剣岳でクライミングを行った後、槍ヶ岳まで縦走する計画だという

A4で36ページにも及ぶ計画書を見ると日程は19日間という長丁場。学生10名、監督、コーチ2名の総勢13名
途中の補給はないので食料は学生分だけで100kg超、共同装備70kg超

2012年8月5日日曜日

安全登山技術講習会


毎週月曜日の午前中、7aHCのメンバーから「この週末に山へ行きました」というメールが流れてくることがある。彼らの技量を知る私は登った山とコースを聞いてぎょっとすることがマレにある。
また、最近は7aハイキングクラブ山行として沢歩きを取り入れつつある。そうするといずれは「○○沢へ行っちゃいました」という日が来るかもしれない。
そこで、ある一定のレベルに達するまでは私の同行なしで沢へ入ることを禁ずることにした。ただし禁ずるからには彼らが一定のレベルになるように教育を実施しなればならない。