2014年9月15日月曜日

合同集中捜索を10月10日から13日に実施予定

8月の捜索時のババ平BCでのひとコマ
クライミング飛鳥というクライミングジムのメンバーである
頭が下がる


昨年10月に回収された独標直登ルート終了点のデポ品は土橋さんが独標まで到達していない可能性示唆するものだった
これを受けて北鎌沢の右俣と左俣を重点的に捜索した


まずは村田、斎藤、佐藤で捜索用リファレンスマップ上の北鎌左Dの合流点付近まで肉薄した。これを受けて10月末ヘリコプターによって死角となっていた北鎌左Iから北鎌左Aまでの各支流と北鎌右のすべてをくまなく舐めた

これらの捜索により、土橋さんは北鎌沢出合から奥には入っていないとの仮説を取らざるを得なかった
となると東鎌尾根ということになる
東鎌尾根の槍沢側の谷は確認済なので、天上沢側の谷が残った。昨年10月末のヘリコプター捜索では、遅くまで雪渓が残ることが確認されていたので、谷の捜索は、その雪渓が最も後退するタイミングで実施するのが合理的ということになる
9月などの中途半端な時期に谷へ入っても「雪渓に覆われていました」で終わってしまうのは明らかだからである
雪が来る直前の10月中旬がベストとなる



ところが一方で、次のような仮説も成り立つのではないかという意見があった
すなわち
土橋さんは稜線から転落直後はしばらくの間、動き回れる状態だったので、尾根のハイマツなどのブッシュの中にいるのではないかというものだ
もしブッシュの中にいるのであれば、ブッシュの中で発見することは容易ではないだろう
しかし雪渓に埋もれている状態に比べれば、尾根筋であれば夏でも捜索可能のようにも思われた
そう考えるといてもたってもいられず8月11日から14日にかけてリファレンスマップ上のT8尾根の捜索に向かった
捜索結果については先月私のホームページで報告したとおりである
http://opa.cig2.imagegateway.net/s/album/GcFDfLXwBha
結論から言うと怪我をした人間が登下降できるような尾根ではないということだ
昔の登山道がブッシュがない沢筋に沿って開かれていたように、人間が通過しやすいのはやはり沢筋だということを思い知った

昨年すでに幾つかの谷を捜索しているので、残る谷はTD,TE,TF,TGである
この四つの谷は稜線からの懸垂下降により最上部に関しては捜索済みである
したがって雪渓に覆われた中流部がメインになる

この結果を踏まえて8月30日に第5回遭難対策会議が開かれた
千葉岳連、千葉労山、栃木労山、茨城岳連とそれぞれ所属はことなるが皆が集まった

今までの捜索の経緯が再確認され、TD,TE,TF,TGを捜索することが決まった
この捜索により発見できなかったとしても、これを組織的な捜索活動の区切りにすることも確認された
残念ながら次に打つ有効な一手がもうないのである

対策会議後に山仲間に私が発信したメール本文は次のようなものである
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谷川さん
とりまとめ本当にありがとうございます
そして多忙な中を出席いただいた方々に感謝いたします

さて少し補足の説明をいたします

越冬したことにより捜索活動は転機をむかえております

その区切りとして合同集中捜索を実施すると本日の会議で決定しました


捜索対象地域は天上沢の上流部です


捜索の標準的な日程は10月10日から13日となり、間の沢出合にベースキャンプを設営することになります

捜索実行日は11日とし、12日は予備とします
したがって10日の夕刻までに間の沢出合に到着している必要があるので、体力に応じて9日に入山する必要がある方もいらっしゃるかもしれません
そのあたりは各人でご判断ください
下山も同様で13日に間の沢出合から上高地まで下山します。体力的に無理な場合は途中でもう一泊することになります

9月19日~23日に入山する計画の方々もいらっしゃるとのことですが、組織的な捜索活動を優先しますのでご遠慮いただきたく思います


予定されている合同集中捜索は、組織的な捜索としては最終の捜索活動になる可能性が高いものです

従いまして土橋さんの山仲間として総力を結集して望みたいと考えています
実際の捜索活動に参加できない方でも、途中までの荷上げ、あるいはベースキャンプでの食当、さらには水俣乗越における通信中継係
山歩きが出来ない方でも沢渡までの運転係など、ご協力いただきたい役割はたくさんあります

関係者のご協力を切にお願いする次第です

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上記のメールに記述したように、捜索の最前線に立っているメンバーだけで捜索が成り立っているわけではありません

車の運転しか出来ない人ならば、捜索隊を上高地へ送ったあとは小梨平でキャンプをしながら紅葉の最盛期を迎えた上高地を楽しんではいかがでしょうか。
少し山歩きの経験のある方であればババ平までの整備された登山道は落ち葉に敷き詰められて一生の思い出になるでしょう

土橋さんを知る関係者の皆様のご協力をお願いいたします

2 件のコメント:

yarisan さんのコメント...

40年前に登山を止めた者です。
たまたま貴殿サイトを通りすがりましたが、気になることがあるのでコメントさせてもらいます。


遭難された方の登山の目的が、かなり前のデポ品回収ということと、当日の目撃情報が無いことが引っかかります。

・デポ品回収の件
60歳を超えると、ある年齢で急に肉体的な衰えを感じるようになります。
老化は徐々にではなく階段状に進行しますが、その年齢は人によりかなりバラツキます。 しかし70歳までには確実に感じることでしょう。
71歳とのこと、年齢的にこれが最後かもしれない考えてデポ品を回収しに行かれたのでしょう。
少なくとも、また何度も来るという登山とは気持ちがかなり異なっていただろうと思います。


・目撃情報が無い件
天気図を見ると2013年は7月/中から前線や台風通過がありずっと天気が悪かった。
前日AMは雨模様でしたが、8/7は全国的に快晴で上高地も久しぶりの快晴で例年以上に賑わったことでしょう。 水曜日だが夏休み最盛期、北鎌には雨で足止めを食らっていた人たちを含め、20人くらいは入ったのではと予想されます。
すでに登山計画書が被ってる人たちへのヒアリングは行われたようですが、目撃情報が無いのは奇異。 見たかもしれないレベルの話が複数あってもよさそうなものです。

このことから言えることは、
 ・まだ暗い東鎌で滑落したので、北鎌には入っていなかった
 ・北鎌に入っていたが、一般の登山者とは異なる時間帯で行動、または異なる場所にいた
のどちらかになります。
東鎌捜索の結果、発見できなかったということは、後者の可能性が高いのではと考えます。


ここからは私の勝手な想像ですが、北鎌沢ではなく千天出合付近まで行かれてから登られたのではないでしょうか?
 ヒュッテ大槍 →水俣乗越 →北鎌沢出合でデポ品回収 →天上沢を下る→千天出合付近から北鎌尾根P2
普段なら通らないルートでしょうが、最後?の記念に北鎌踏破。 もしかしたらこの方が最初に北鎌行ったのは、湯俣からだったのでは? だとすればノスタルジック登山にもなる。 そしてデポ品の回収も出来る一石二鳥のルートとなります。

ネット上にはこの方が2005年?に湯俣 →北鎌沢 →槍 →水俣乗越 →北鎌沢出合 →湯俣という話が出ています。 復路は登山靴で天上沢を下ったとありますので、状況は熟知しており、意思さえあれば何の問題も無いでしょう。
登山計画書には北鎌沢出合→北鎌コルとなっていたのでしょうが、デポ品を回収した時に変更した。 あるいは当初から天候が良ければ、予備日を使って変えるつもりでいたのではと予想します。

北鎌沢出合のデポ品が無いのは増水で流された可能性もありますが、増水のことくらいは考えてデポしたでしょう。
よく分かりませんが、北鎌沢出合には6:00ごろでしょうか?
真夏の晴天でこの時刻なら、テント泊の登山者はすでに北鎌沢を登っているので目撃者はいないでしょう。
千天出合からは天上沢を上って来る人は多分だれもいないので、目撃情報は当然無い。

ヒュッテ大槍からワンデイという条件からは外れますが、その他の条件(北鎌行き、デポ品の有無、目撃情報無し)は満たします。
そうなると北鎌沢から上側だけの捜索では十分では無いかもしれません。

詳しい事情・状況を承知しませんので頓珍漢な意見だとは思いますが、気になりましたのでコメント差し上げます。
捜索の混乱になるようなら、老人の妄想とお考えいただき読み捨ててください。

Motoaki Kaku さんのコメント...

ヤリサン様

非常に神経質な対応を取りがちな、あるいは取らざるを得ない本サイトに投稿いただいたことに感謝申し上げます
東鎌尾根の天上沢側の斜面は広大で、私どもの捜索範囲は微々たるものにとどまっています
一つ一つ仮説を立て、それを検証していきたいと考えています