2018年1月4日木曜日

年末年始休暇の過ごし方


福岡県と大分県の県境に山国川が流れ、屏風のように広がる八面山を近くに望む肥沃な扇状地に中津市の市街地が広がっている
その市街地から八面山に向かって30分ほどタクシーを走らせたところに私の生まれ故郷である「賀来」という小さな集落がある

父が遺してくれた土地の多くは賀来の集落の昔からの知り合いに貸しているが、耕作していただいている方々もすでに高齢化し、ご子息たちも都会へ出たり、北九州の企業に勤めたりして農業の継続が困難な状況になりつつある
だから年に一度は中津に帰省し、菓子折りをもって挨拶に廻る

村はずれのお宮の近くに西之園という場所がある この土地は借り手がなかった
それで40年ほど前に親戚の伊達が花屋をやっていて杉の枝が必要だということで伊達が杉を植えたその杉が大きく成長し畑の影になるという話が随分前からあった
父が死んだあと15年ほど前に一度伐採したことがある たった一人でチェーンソーで伐採するのだから限界がある 日陰になりそうな部分の10本ほどを伐採した 夏だったから辛い作業だった エンジン草刈り機でツタを切ってからでないと作業ができず、誤って蛇を切ってしまうなど苦労した
半年ほど前に、さらに杉の背が高くなり日陰になるので何とかしてほしいという話があった
いよいよ本格的に伐採するしかないと思った

こんなに苦労して維持する土地ならば売却した方が良いと思うかもしれないが、数百年に渡って維持してきた先祖伝来の土地を父が農地解放を乗り越えて守ってきたことを理解している私にはそれを継続しなければならない責務がある
だから、ヨセミテに行く前からこの年末年始休暇には杉の伐採をするために大分に帰省することを決めていた
それに賀来の集落の人たちに息子を紹介し引継ぎもしたかったので早い段階から息子にも同行を依頼していた
そしてなりよりも息子の手助けなしにはの杉林を伐採することは不可能だと知っていたし、土地を継承していく苦労の一端を息子にも理解してもらう必要があるように思われた
では七日間を簡単に振り返ってみることにする

12月29日
未明3時に起床し3時30分に自宅を出発
息子の運転で都内を抜け由比SAで運転を交代 9時前に名古屋を通過し渋滞なしで大阪を越えることができた
宮島の先で事故渋滞に巻き込まれ1時間ほどロスしたけれど17時半に中津に到着することができた
トイレと給油以外には停車しないで走り続けること14時間だったが、疲れはほとんど感じなかった
それはそうだろう
二人で交代交代で運転したから一人当たりの運転時間は7時間
それも2時間運転して2時間助手席で休むということを繰り返したので疲れるわけがない
ゴールデンウィークに北アルプスへ行くときなどは10時間運転することがあるから、それに比べると楽勝だった


12月30日
最初に墓参り ご先祖様に手を合わせる
近くのホームセンター「ナフコ」でチェーンオイルと2サイクルオイルを購入し、西之園の杉林の現場に入る
想定していた通り杉林の周辺はツタのからまった藪になっており杉林に近寄ることができない
藪とツタを除去し作業スペースを作ることで一日を費やした
朝から夕暮れまで作業して一本の伐採もできないことに呆然とした
師走だというのに作業をしていると暑く、Tシャツ一枚になった ツタはイバラで腕にひっかき傷がたくさんできた
昼食は徒歩で行ける「宝来軒加来店」へ行った
高校生の頃、母の実家である湯屋の土蔵の二階で夏休みを過ごしたことがある
その夏は毎日自転車で中津の日の出町にある宝来軒へ行ってラーメンを食べた 当時の宝来軒のラーメンは悪魔的と言いたくなるような美味さがあって虜になったものだ
その後、宝来軒はフランチャイズのように支店が各地にできてあじはガタ落ちとなった
「宝来軒加来店」も同様でカップ麺と同じようなもので最悪だった


12月31日
ツタが絡み合って杉と杉がつながっており、一本を伐採しても倒れない
最悪である
15mほどの先端部でツタがつながっているのでどうしようもない
ハーネスを付けて息子にビレイしてもらいながら木に登りアクロバチックな体勢でチェーンソーを使う
昨日は無風だったが今日は風が強く伐採方向のコントロールが思うようにできない
全部で65本あるのに10本しか伐採できなかった とても1月4日までに伐採完了できそうもない ガックリだ
クライミングとは異なる筋肉を使うので筋肉痛が激しい
夕暮れになって仕方なく作業を終了し車で5分の温泉「太平楽」へ直行して疲れ切った筋肉をほぐした

母の実家である中津市湯屋にある湯屋家で大晦日の夜を過ごす
湯屋家は司馬遼太郎の「街道を行く」で広く知られるようになった鶴市の伝説に深くかかわる湯屋弾正基信ゆかりの名家であり、その歴史的背景からみても賀来の家など足元にも及ばない

NHK紅白歌合戦が終了してから徒歩50歩の瑞泉寺へ除夜の鐘を突きに行く
中津は寺が多いのでそれぞれの寺が除夜の鐘を鳴らしており、いくつもの鐘の音が大晦日の中津の夜に鳴り響く
その除夜の鐘のハーモニーにうっとりしながら新年を迎えた

1月1日
湯屋の食卓には豪勢なおせち料理が並んだ
運転があるのでお屠蘇はみりんで代用し、美味しいお雑煮をいただいた
9時!
伐採作業に出発
9時半から作業に取り掛かったが、ツタに絡まった杉が思うように倒れてくれず、吊るし切りを行う
吊るし切りは非常に危険で慎重に作業をしなければならず時間がかかり、精神的にも疲れる
倒れてきた杉の下敷きになりそうな場面が二回ほどあり、すんでのところで難を逃れたが、危険度の高さを考えて気が滅入るような一日となった
しかも、伐採した杉が耕作地に倒れこんだりして、その後始末に多くの時間を費やした
昨日10本、今日20本伐採したので30本伐採したことになる あと35本ある
作業が終わってから息子に運転してもらい金色温泉へと向かった




1月2日
この二日間は風が強く、風にあおられて倒木方向をコントロールできないという問題があった
そこで湯屋からアルミの脚立を借りて杉の高い位置にロープをかけ、それを三分の一システムで強く引いてからチェーンソーで伐採するという方式を取り入れたところ、ほぼ倒れる方向をコントロールできるようになった
午前中だけで15本を伐採することができた
一旦、湯屋に戻って昼食をとって午後の作業に取り組む
脚立と三分の一システムのコンビネーションは抜群の威力を発揮し夕刻には三本杉を残してほぼ伐採を完了した
達成感があった

昨日と同様に金色温泉へ向かったが、その前に金色温泉のすぐ近くにある石舞台にあるボルダーに立ち寄った
六日ぶりのクライミング!指の先端にかかる負荷が心地よい

夜は従兄弟のみきおちゃんと酒を呑んだ
38年前に京葉山の会に所属していたみきおちゃんとは冬に西穂高から奥穂高までテントなしの雪洞だけで歩いたこともあるし、谷川岳一ノ倉沢烏帽子沢奥壁ダイレクトルートで事故った時にビレイしてくれたのもみきおちゃんだった
そのような下地があったので、息子も交えてヨセミテの話で盛り上がった






1月3日
作業最終日
午前中は後片付けに終始した
昼食に湯屋へ戻るとみきおちゃんが、「宝来軒本店へラーメンを食べに行こうや!」というので行く
宝来軒加来店が最悪だったから本店も味が落ちているだろうと期待薄だったが、本店はさすがにそこそこの味を維持していた
午後からは賀来の集落でお世話になっているお宅を訪問し、息子を紹介して廻った
日中は畑仕事に出ていて不在な家もあって夕方遅くまでかかった
金色温泉へ行きたかったが、温泉よりももっと行きたい場所があった
もちろん八面山のボルダーである 昨日は石舞台ボルダーだったが今日は山頂付近に点在するボルダーである
息子が中学生の頃に連れてきたことがあるのだが、彼にはその記憶がないという
山頂から中津の市街地を展望した
かつて賀来の狼煙場があったという森山も見えた 賀来は狼煙で誰に伝えようとしていたのだろうか?などと思う おそらく宇都宮なのかもしれない
遅くなったので金色温泉はあきらめ、明日に備えてガソリンを満タンにし、車中での飲食物をAEONで買い出しして従兄弟の待つ湯屋へと向かった
17時半から呑み始め、はやめに切り上げて21時には床に就いた







1月4日
2時50分に自然に目が覚めた
3時に布団をたたみ、湯屋を出発した
伊吹山周辺ではかなりの積雪があった
渋滞はほとんどなく16時に四街道の自宅に帰着した
疲れもあまり感じなかった

明日は出勤
明後日からの三連休は八ヶ岳赤岳鉱泉で二泊の予定

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